モハメド・アリ VS. 人間発電所
日テレG+で古い日本プロレスのモノクロ時代の発掘映像をよく再放送してるんですが、かなり映像も音もクオリティ高いです。実況とか録り直してるんじゃないかと思うくらい。80年代のVTRなんかより、よほどクリアですよ。テープの保存状態がよいのかなあ〜。デジタル・リマスターしてるんだろうか?
1968年の大阪球場、ジャイアント馬場対ブルーノ・サンマルチノを見ておりました。
若い頃の馬場、さすがに動きもシャープで迫力がある。晩年のイメージだけで覚えられるとかわいそうですね。猪木派のぼくとしても。
馬場のセコンドについているのが、山本小鉄と永源遙というのが、また2人のその後の運命を考えると感慨深いね。2人ともまだ、髪の毛が残ってる感じw
実況アナが何度も「ジャイアンツ馬場」と間違えるので気になったりもするんですが。
こんな聞き逃がせない発言が。
「カシアス・クレイにも挑戦状を叩きつけています、ブルーノ・サンマルチノ。ソニー・リストンとも闘ったことがあります」
カシアス・クレイは、モハメド・アリの若い頃のリングネーム(というか元々の本名)で、ソニー・リストンはクレイにベルトを奪われた、前のボクシング・ヘビー級チャンピオンです。
そういえば、昔読んだプロレス雑誌にそんなことが書いてあったような、気もする。けど、さだかではないが、その後、この件について掘り下げた文献とかあるのかな? ググっても見つからないけど、どうなんでしょうか?
まあ、アリも猪木戦の前にゴリラ・モンスーンなんかとエキジビションもやったりしてるし、たぶんサンマルチノ対リストンもそんな感じでやったのかもなあ。
にしても、アリが猪木戦の8年も前に、ニューヨークの帝王サンマルチノと闘うかもしれなかったとは。
そして猪木対アリ戦の日に、サンマルチノはスタン・ハンセンと闘っている。
やっぱりサンマルチノ対アリにすべきだ、という声もアメリカであったらしい。
このへんは斎藤文彦さんがSPA!の連載で詳しく書いていた。
そして、サンマルチノは馬場と仲良すぎて、猪木とは闘わなかったのだなあ。
その後、ハンセンは猪木とも名勝負をやり、馬場とも名勝負をやった。
ハンセンがブロディのセコンドとして全日本に登場したのが1981年の12月13日。その前々日に、アリはトレバー・バービックに負けたのが現役最後の試合となった。
そのバービックは5年後の1986年にマイク・タイソンに負け、さらに5年後の1991年に日本で高田延彦に負けた。さらに5年後の1996年にタイソンはWWEでショーン・マイケルズに・・(キリがないw